「82年生まれ、キム・ジヨン」
とても素敵な本だ。友人のA氏に贈りたい。
読み終えて、そう思いました。
本書は、韓国のソウルで生まれたチョ・ナムジュさん著によって書かれた、女性が人生で出会う差別を書いたものです。登場人物、社会背景ももちろん韓国の話ではありますが、多くの日本人女性にとっても共感できることが多い内容だと思います。
そもそも、この本を手に取ったのは、第一子を出産し育児中の友人のA氏との会話がきっかけとなっています。
”女性とは””母親とは””妻とは”なにか。
育児のために母親の過大な犠牲に頼る社会の風潮。それを当然と(仕方なく)受け入れる周囲のママ友達。
友人のA氏はそのような現実に疑問を呈していました。
そして私もあまり意識はしていませんでしたが、これまで仕事を通じて形成された自身のアイデンティティが結婚や出産、育児を通して変わらざるを得ないことに潜在的に不安を感じているのだろうと思いました。
日本ではまだまだ家事、育児時間は女性に偏っており、男性が主体的に家事・育児を担うまでにはいたっていないとされています(もちろん、家庭により程度の差はあるとは思います。)(
保健指導リソースガイド HPより)。
最近では男性が育休を取ることも少しずつ増えてきてはいますが、厚生労働省の調査によると、2022(令和4)年度の育児休業(育休)取得率は女性が80.2%、男性が17.1%となっており、(公益財団法人 生命保険文化センター HPより)以前男性の育休取得率は低いままです。
この背景には、女性の賃金の現状が影響しているかと思います。内閣府男女共同参画府HPによると、我が国の男女間賃金格差は国際的に見て大きいようです。
職場を見てもそうですが、周囲を見渡せば上長は男性の割合が圧倒的に多く、少数の女性リーダーを見ても家事も育児も仕事もバリバリこなすスーパーウーマンか、独身のバリキャリウーマンであることが多いのではないでしょうか。
意欲があって仕事を頑張りたいと思っていても、女性個人による道を切り開くパワーに頼らざるを得ない、というのが現状なようにも思えます。
働くことにやりがいを持っている女性も多く存在しますし、結婚や育児をしても変わらずに仕事への熱量を注ぎたいと思う方もいると思います。
それが自然なことであるように、当たり前のように遂行できる社会となることを願っていますし、どうしたらそれが可能となるのかを周囲の人を巻き込みながら考えていきたいです。
友人のA氏は夫の理解が得られるように働きかけ、夫婦で協力しながら育児を行っています。今は育休中だからということもあると思いますが、自分の時間を作ることができており、子供を連れずに未婚の私と会ったり電話をするような時間も作ることができています。
子供が成長するにつれて彼女の考えや行動も変化していくのだと思いますが、自分の意見をきちんと主張し、周囲に働きかけようと努力する彼女の姿はかっこいいです。
それでも、そのような生き方は今の日本社会ではまだまだマイノリティな部分が大きく、彼女自身もこれまでに何度も傷ついています。
彼女のような方がこれからの人生も健やかに生きることができるように。
あなたは1人ではない。そのことを知ってもらえれば。
そんな気持ちでこの本を贈りたいと思います。
家庭を持つ男性にもお勧めしたい一冊ですね。
ちなみに、解説も秀逸です!
映画【エゴイスト】
「エゴイスト」さきほど映画を見てきましたー。
感想はいろいろとありますが、最も強く思ったことは、「この作品を通して監督は観客に何を訴えかけたかったのだろう。どんな思いでこの作品を作ったのだろう。」という事です。
この映画は、見終わった後に周囲の人と感想を話し合っても、いわゆる決まった感想が出ないような複雑さを感じる作品でした。改めて、もう一度原作を読み返したい気持ちになりました。
この作品を見たきっかけは、小説が映画化されると知り原作を読んだことがきっかけです。この小説は、著者の自伝的小説であると言われています。というのも、すでに著者は病死されていてどこまでが真実で、どこまでが嘘なのかはわからないようです。
小説の魅力は、主人公の男と、男と恋人関係を持つ彼の人間性にあります。
主人公は自信家な仮面を被っていますが愛情に飢えた男で、この男の寂しさは、自信が抱えるセクシャリティーをきっかけに思春期に受けたいじめや、同時期に病気で母親を亡くすといったショッキングな生い立ちが影響していました。どこか恋愛に対して俯瞰的でスレた印象のある男とは違い、男とは対照的なほど温かい優しさを持つ彼に出会います。
彼は、見た目には苦労人であることを微塵も感じさせませんが、実は病気の母親を1人で看病しており、高校を中退しているという辛い過去を持っていました。愛情深い彼の言葉や態度、母親を大事に思う姿に男は癒され、何か自分が欠けてしまっている、人に対する愛情や母親への想いを彼に投影するような心情が小説では表現されていました。
この対照的な性格を持つ2人の男が互いに惹かれあい、癒され、そして依存していく。男は社会的には勝ち組とされる立ち位置にいるため、彼と彼の母親を金銭的な面でも支援するのですが、その後に起こる辛い結果(出来事)には、そんな風に生きるしか術はなかったのだろうか、何か違った支援は受けられなかったのだろうかととても虚しい気持ちになります。先ほど、2人の関係を「依存」と表現しましたが、もし仮に他の支援を受けることができていれば2人の関係性は違ったものになっていたかも知れません。
本作品は、まだまだセクシャルマイノリティーとされる関係が映画ではストレートに描写されています。正直、ここまで表現するのかと、度肝を抜かれる感覚と、正直言えばショッキングな感覚を覚えました。が、それが良かったのだと思います。普段耳にする程度のセクシャリティーについて理解が深まるような感覚がありましたし、そういう感覚になるほど主人公の男を演じた鈴木亮平さんと、恋人役を演じた宮沢氷魚さんがリアリティーさを持って演じられていたのだと思います。
映画では、小説でありありと描かれる男の繊細な心の動きが語られる場面は少なく、表情で語ることに徹した表現がされていました。私としては、もう少し男の心情を語りで入れてほしかったなという感じはしましたが、忠実にキャラクターを表現しようという鈴木さんの心意気を感じる演技と、宮沢さんのナチュラルな演技が光っていたので楽しめました。あえて心情を語らせないことで、作品を見終わった後に作品についてたくさん話しあってほしいという監督の意図があったのかも知れません。
この映画は、セクシャルマイノリティーや強者と弱者の存在する社会の有り様、愛情とエゴ、依存など様々な切り口について考えさせるものがあります。
もしご興味があれば見てみてください。
©︎2023 高山真・小学館/「エゴイスト」製作委員会
斉藤孝著 「20歳の自分に伝えたい知的生活のすゝめ」を読んで
「20歳の自分に伝えたい知的生活のすゝめ」を読んで
本文では、現代の若者の捉え方を著者である斉藤孝さんの視点で説明されており、若者に対する希望が込められた内容になっています。
わたしは20代ではなく30代ですが、自分の20代を振り返ったり、また、現在のわたし自身が大事にしていることで、共感できる内容が書かれていたので、いくつか紹介してみたいと思います。
ちなみに、わたしは著者の齋藤孝さんのファンです。
斉藤さんの考え方には共感するところが多いですし、何より文章がとても読みやすいです。
斉藤さんは、今の若者が優秀だという肌感覚があるといいます。
それを、「整いぶり」と表現しています。
”基本的に他人に失礼なことを言いませんし、マナーやTPOをごく自然なものとして身につけています。”
たしかに。職場にいる若い子の「整いぶり」は共感できます。
一方で、斉藤さんは、”現代人(若者)が教養を身につけるのに、それほど熱心になれていないのではないか”とも説いています。
その理由としては、”人間を評価する尺度としての教養の価値が昔よりも大幅に低下し、代わりに容姿や経済力に価値を置く比重が高まった影響が大きいのかもしれません”としています。
また、容姿や経済力などのように、持って生まれたものの価値を優先する考え方を、”「遺伝子至上主義」的な価値観”と表現し、その価値観の蔓延や、そこに生まれる、なんでも査定するような状況、つまり”「査定社会化」”が若者を苦しめているのではないかとも考えているようです。
このような閉塞感を感じるような状況を打破するには、知性が必要で、教養を身につけることの重要さを説いています。
それに加え、次のことをアドバイスしています。
”目上の人とも距離をすっと縮められるのは若い人の良さであって特権なのですから、どんどん行使すべきです。”
これは本当に頷ける考え方ですね。
目上の人でも、勢いで距離を詰めてみたら、人生を変える考えに出会えたという経験は、わたしにもたくさんあります。
メリットが大きいので、恥や恐れを捨てて、実行していただきたいですね。
ここで、わたしのエピソードを一つ、話します。
当時、尊敬していた職場の先輩が退職することで先行きが不安になり、今の職場でどのようなモチベーションでやっていけば良いのかわからず悩んでいました。
今では、何か悩むことがあれば本屋に行ってみたり、その分野に長けている人にアドバイスを乞うことができますが、当時のわたしは、悩みをどのように解決すればいいのかわかりませんでした。
ただただ、どうしようもない思いを人に聞いてほしかったのです。
その時に思い浮かんだのが、勉強会で知り合ったAさん(仮)でした。
Aさんとは勉強会で一、二度関わりを持っただけですが、Aさんから発せられる言葉や態度にはパワーがありました。
勉強会後の講師とのお酒の席で、Aさんが講師に熱く語りかけていた姿を、今でも覚えています。
自分の悩みや考えを、思いを持って話す方だなと思いました。
そんな印象を持っていたこともあり、直感的に、悩みを聞いてもらいたい!と思ったので、すぐにFacebookで友達申請し、メッセンジャーで悩みを聞いてほしいと連絡しました。
まだよく知らないわたしの、個人的な悩みに、2時間近く(1時間だったかな)付き合ってくれたAさんには、今でも感謝しています。
相手の都合を気にせずに呼び出してしまう不躾なところも、若さゆえの距離の詰め方だと思います。
それを厳しく咎められなかったのも、若さで許してもらえるところがあったのかなと思います。
この出来事を経て、わたしはAさんのいる職場に転職をしました。
また、この出会いが、その後の自分の弱さや課題に向き合っていくこととなり、自分を変えたいと強く思うようになりました。
今では、学ぶことの必要性と、継続の楽しさを知ることができたので、当時の自分の行動には感謝しなければいけませんね。
では、斉藤さんの話に戻ります。
次は、先ほどとは少し違った角度の話で、人との関わり方についてです。
今回は、その中でも、”「理解力は愛を超越する」”とい考え方について紹介します。
ここでは、「愛することを重視する人」と、「理解力のある人」を対比しています。
まず、「愛することを重視する人」ですが、
”「愛することを重視する人」は、愛せない相手に対して憎しみを募らせるか、無視することになります。”
一方で、”理解力がある人”は、
”理解力がある人は、安定して理解力があります。”
”「理解する人」「理解しようとする人」は愛せない相手に対しても、別の向き合い方が可能です。”
”理解は、相性や趣味、物事の好き嫌い、思想や信条の違いさえも超越するものでもあります。”
なるほど。
たしかに、わたしにも苦手な人はいます。
まるで価値観が違っていて、自分の大切にしたいことと反した考え方であればあるほど、相手の考えを否定したい気持ちになることもあります。
ただ、これは本当に気をつけなくてはいけません。
瞬間的に湧き上がるネガティブな感情に反応してしまうと、良いディスカッションは生まれません。
ネガティブな感情に反応しないというのが重要で、一度、異なる価値観を受け入れ、それから自分の考えを伝えるのがよいと思います。
仮に、チームでプロジェクトを推進する必要があるとしましょう。
その集団には様々な、自分とは異なる考えを持った人が存在するはずです。
自分の意見が絶対的に正しいということはあり得ないので、価値観が異なる人の意見ほど、方針やシステム等を見直すチャンスになります。
建設的なディスカッションによって、いいものに昇華させる過程をたのしみたいですね。
それでは、また。
NHK「学びのきほん」シリーズ。 「はみだしの人類学 ともに生きる方法」
この本を手に取った理由は2つあります。
まず、タイトルに惹かれました。「はみだしの人類学」ってなんだ?と単純に興味を持ちましたが、その後に続く「ともに生きる方法」という言葉が「はみだす」とは対義的な意味を持つと思いました。
この矛盾しているようなタイトルがどういう意味を持つのだろう?と思い、手に取ろうと思いました。
2つ目の理由は大したものではないのですが、元々低価格なのにさらに安くなっていたからです。(今ならKindleで期間限定キャンペーンで価格が下がっています)
著者は文化人類学者である松村圭一郎さん。
編集者の白川さんが取材をしながら結論へ導くというスタイルで構成されたようで、とても読みやすいです。
この本は、グローバル化が進む現代の世界で、多様な文化を持つわたしたちがどうすればともに生きることができるかを文化人類学の鍵となる2つのキーワードを用いて教えてくれています。
キーワードは「つながり」と「はみだし」。
人間は差異に満ちた他者とともに生きていますが、この差異の捉え方を「つながり」の視点から紐解いています。
文化人類学では、「つながり」には以下の二つの意味を持つと言います。
・自己と他者の差異を強調する方法
・境界を越えて交わる方法
私たちが異なる他者を理解する上でこの2つの視点を理解することが非常に重要です。これらは何も難しいものではなく、私たちが体感したことがあるものです。
一つ目の、自己と他者の差異を強調する方法は、SNSのいいねが例に挙げられます。
「わたし」の固有の輪郭が確かなものへと感じられるつながりであり、自己と他者の輪郭を強調するようなつながりを指します。「わたし(たち)」と「かれ(ら)」の間に引かれた”境界線”が固定化すると、次第に唯一の絶対的な境界線に見えるようになります。この、引かれた境界線が変わらない絶対的な輪郭だと勘違いされてしまうと、その輪郭を維持するために異質な他者が見つけ出され、差異が強調され、排除されます。
いわゆる内戦、戦争、テロが起こる状態です。
これを見て、私はロシアによるウクライナへの軍事侵攻を思い浮かべました。
プーチン大統領がなぜウクライナ侵攻を決めたかは今ひとつわかりませんが、他者との関係性の中で絶対的に相容れない境界線が引かれ、自分の中の何かを守るために侵攻という強硬手段が取られたのではないかとも感じます。https://news.yahoo.co.jp/articles/2a8c201e8927db6603b5e64e5c2685e25dba8fe2
私は絶対的に戦争は許されないことだと思っていますが、生きていく中で他者を排除するような排他的な考えや態度は、これらの望まない行動を容易に引き起こす可能性があると考えます。
自己と他者の差異が強調されるようなつながりの考え方は度が過ぎると紛争のようなものを引き起こす可能性があると考えられる一方で、歴史はこの境界線を開き、別の境界線でくくりなおす作業がずっと繰り返されてきたようです。
これは二つ目の「境界を越えて交わる」つながりを説明します。
本の中ではこのように説明されています。
”見知らぬ他者と出会い、別の生き方や可能性に触れることで、それまで自分の中で「輪郭」だと信じていたものが揺さぶられる。その揺さぶりによって私の中の大きな欠落に気づく。その欠落を埋めようと私がそれまでの輪郭をはみ出しながら他者と交わり、変化していく。”
ここでお気づきかと思いますが、境界を越えて交わるつながりには、二つ目のキーワードである「はみだし」が含まれます。また、この文には次のような文が続きます。
”このような揺さぶられる感覚は誰もがどこかで経験したことがあるはず。
異質な他者だと思っていた人々と長い時間を過ごすうちに、それまでの私の輪郭が溶け出し、境界線が開かれ、その外側へとはみ出していく。そうした他者との関わりが生まれるようなつながりを文化人類学は大切にしてきた。”
この考え方について私はすごく共感します。
現在私は32歳ですが、この32年間いろいろな人と関わる中で自分の性格が変化してきたことを感じています。
20代の頃は、自分が何者であるかがわからず、他者と関わることによって自分のアイデンティティが脅かされるような感覚がありました。
ですので、いつも人との深い関係を避けていたような気がします。
しかし、その中で出会った人たちの中に「いいな」と思う行動や考えに触れ、自分には無理と制限をかけていた物事に挑戦する中で、少しずつ人の意見を受け入れられるようになりました。
今では、そのような人との関係性があったから、自分では想像していなかった多くの物事に触れることができ、自分の考えをアップデートすることができたと思っています。
このように感じれるようになったのはここ3年くらいなので、まだまだ私自身は成長の初期段階にいるような気でいます。
これからもたくさんの人と交わる機会があると思いますが、関係性の中で多くのことを吸収しながら、自分自身が変わり続けることを楽しみたいと思います。
コムドット やまと「聖域」より
この記事にアクセスしてくださったということは、あなたは少なからずコムドットに興味がある方なのだろう。
ご存じの通り、いまや「YouTuber影響力トレンドランキング」の2位にランクインする今をときめくクリエイターだ。
コムドットのリーダーやまとは、その強気な発言がTwitter上でたびたび炎上しているが、今回ご紹介する「聖域」は、そんなやまとの違う一面を知ることができる。この本を読み終えた頃には、きっとやまとに対する印象がこれまでとは違ったものに変わっていることだろう。
「聖域」には、やまとを深く理解するための仕掛けがふんだんに盛り込まれている。
もう一人の自分である、"鈴木大飛"という人物を登場させることで、やまとという人物の輪郭が明瞭になり、やまとがただの自信家で態度がでかいわけではないことが理解できる。
やまと自身、根っからのナルシストであることに間違いはないが、それでも自分のすることに迷い、人からの評価や意見を積極的に取り入れている。ナルシストといえば人の意見を聞かない、むしろ必要としないイメージをお持ちかもしれない。わたしもそうだった。しかし、これだけの若者がやまとに興味を持つ理由の一つに、他者や鈴木大飛という自分の声に耳を傾けながら修正する姿を持ち合わせているから、ナルシストでありながらこれだけ支持される所以なのではないかと思う。
鈴木大飛という人物は、一見すると暴走とも見える態度のやまととは違い、冷静に状況を判断し分析を得意とする考え方を持っている。そういった部分を持ち合わせながら戦略的に"やまと"が作り上げられたと考えるとあなたはどう思うだろうか。
やまとは、目標とするリーダー像を定めることで、敢えて人前で自信に満ち溢れた態度で臨むことを選択しているのだ。これは重要な点である。この本には、自分の武器(強み)の気付き方と、目的に標準を合わせた、強みを生かした自分の売り出し方を学ぶことができる。
本書は、やまとの考えを通して、自己啓発あるいはキャリア形成を学ぶような側面も持ち合わせている。文体はやまとの言葉がストレートに綴られており、あっという間に読み進めることができる一冊だ。
やまとを好きな人はより好きになるだろうし、やまとのことを好きでなかった人でも、彼の魅力に気づかざるを得ない作品となっている。もしかすると、これまでやまとに感じることがなかったであろう親近感を覚える人もいるのではないかと思う。
総じてオススメの一冊だ。